僕は戦争を知りません。ただ、僕の父は最前線で「白兵戦」を経験して生き残った数少ない兵士の一人で、手榴(しゅりゅう)弾で左手の親指の自由を失い左耳の聴覚を失った人でした。ですから戦争は必ずしも歴史の向こう側の出来事ではありません。
僕は昭和二十七年四月、原爆投下から僅か六年八カ月後に長崎市内で生まれました。五十年は草木も生えないと言われた故郷ですが、僕の少年時代にはすでに見事な緑が戻っていました。
小学六年生だった一九六四年の東京オリンピックはよく覚えています。長崎の母校の教室の白黒テレビで、円谷幸吉、ヒートリーのデッドヒートに手に汗握り、声をからしました。当時は日本中が貧しかったからでしょうか、誰もが「豊かな未来」を信じた時代でした。敗戦から僅か十九年で国を建て直し、オリンピックを開催するという驚くほどの復興力、そして再生と成長を世界に示すことに「国」としての意味があったのでしょう。そして僕らは東京大会閉会式で、国や人種をこえて人々が肩を抱き合った歴史的行進の目撃者となりました。
あれから五十七年。北川さん、わずか半世紀余りでわたくしたちの国はもう、あの頃とは違う国になってしまいました。
政治家も国民も「経済」ばかりを求めた結果、豊かさとは「富」そのものとなり、心は置きざられて、わたくしたちの神棚には「お金」が祀られ、社会的な格差は目をおおうばかりです。人々は「たとえ死しても」という「こころざし」も「大義」も持てず、安全に生きることに感謝すらしない国になりました。
誠実に、一所懸命に生きる若者が大勢いる一方で、SNSを使って名乗りもせずに自分のストレスを最も汚い言葉で吐き散らし人を追い詰め、平然と自分の安全だけを守って恥じない卑怯(ひきょう)者が現れ、人々は姿の見えない悪意におびえ、本当の言葉や議論を失いました。相手の 言葉を聞かず、自分の言いたいことだけをいうだけでは議論になりません。不平不満だけで、世の中を変えるだけの行動をしない。これが「平和」の正体なのでしょうか。
いま、新型コロナ感染症によって国民は心も生活も疲れ果て、未来を見失い、オリンピックも観客を奪われ、とうとう歓声の聞こえない開会式となりました。東日本大震災からの「復興五輪」として描いた夢や計画は幾度も変更され、次々と担当者が入れ替わり、国民のこころは四分五裂し、東京二〇二〇は人々の思いから離れつつ、開会式を迎えました。
北川さん、とても無念です。このことを若者はどんな風に記憶し、未来につないでくれるのでしょうか。
ただ、お伝えしたいことは、最も大切なアスリート自身には何のあやまちも失策もないということです。むしろこの世情に落胆せず、一九六四年の選手団と少しも変わらず、胸を張って正々堂々と歩む彼らの姿を僕は心から尊敬し、感謝し、誇りに思います。僕らのような無責任な傍観者と違い、彼ら一人一人には命がけの確かな夢と努力があります。仮に手が届かなくとも、そこへ一途に向かってゆく明確な「希望」があります。
今、さまざまな怒りや、悩みや、憤りを越えて、彼らの人生を懸けた戦いが静かに始まりました。彼らが命がけで咲かせる「必死の花」を、まるで自分の力であるかのように無責任に感動し、はしゃぎ、喜び、悦に入る自分に気づいて少し恥ずかしいです。
競技の真の価値と感動は競技者だけのもので、我々には「寄り添う」ことしかできません。しかし逆に言えば「寄り添う」ことならば許されると思うのです。東京二〇二〇。決してメダルや勝ち負けだけではない、アスリートの美しさと、努力と物語とを称えながら、僕は遠い伴走者として、彼らの「栄光と挫折」に寄り添い、ただただ精いっぱい目を見開き、耳を澄ませて、こころに刻もうと思います。
北川さん。一所懸命に生きたいです。
さだまさし氏 特別寄稿より
北川貞二郎
北川貞二郎(きたがわ・ていじろう)さんは一九五〇年に産経新聞社に入社。四十一年に入学した早大では、ボート部でエイトの一員として五輪を目指していた。四十三年十一月、学徒兵として中国へ出征。乗っていた列車が地雷で吹き飛ばされ、左耳が聞こえなくなった。
六十四年、サンケイスポーツ運動部長として「ボートで日本一になったのに五輪に行けなかったキミが書け」と上司に諭されてペンを執ったのが、同年十月十一日付一面「学徒兵OB 五輪開会式をみる」だった。その後、サンケイスポーツ新聞社社長、産経新聞社取締役副会長などを歴任した。
前回東京五輪から五〇周年となった二〇一四年十月、当時九十歳の北川さんは「やっぱりボートを見たい。開会式は当然」と二〇年五輪に思いをはせていた。十八年二月、九十四歳で死去。二度目の東京での開会式を見ることはかなわなかった。
三菱第四代社長岩崎小彌太の訓話「三綱領」(2)処事光明(公明正大で品格ある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持すること)
激動の時代こそ日本人の原点に学ばなければならない。苦難に勝る教えなし。
館主 芳井 篤司