女将のブログ

感謝を忘れず年越し。

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激動の2020年も大晦日を迎えることになりました。

丸二か月もブログの更新が滞っていたことは初めてです。
いろいろと書き綴りたいことがありましたが、UPすることを躊躇して下書きだけが溜まっていました。
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月並みなことを書けば、未曽有の一年で、まだまだ先行きが見えず混沌とした世の中です。
ご多聞に漏れず当館も大打撃を受けているのです。
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しかし、幸いなことに創業70年を迎えるにあたり、
当初予定されていた次期社長が私ではなかったことが功を奏し、
おかげさまで現社長の英知をもって祇をん新門荘は生き残っています。
また、彼を指名した前社長の英断があってこそだと思っています。
そして何より、今残っている従業員が創意工夫をこらし、
このような状況下でも真剣に働いてくれているおかげなのです。
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このように弊館のことのみならず、振り返れば私のこの一年は全てにおいて本当に幸せでした。
人生を左右する新たな出会いがあり、価値観が180度変わりました。
自分の浅学な知識をどうにかせねばと不惑を超えて、なお苦悶する日々もありましたが、
2021年の幕開けを直前にようやく自分自身の葛藤が落ち着き、一皮むけたように思っています。
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ここで精神的に一皮むけたと自負する自分に磨きをかけていくためにも、
当分の間より表立ったことは控えていきます。
ついては、2007年を迎える直前にブログを始めて14年を迎えようとしていますが、
本日の投稿をもっていったん最後にしたいと思います。
ただ流れゆく年月に身を任せるだけでなく、このブログを書くことを通しての27才からは、
加速的にあらゆる角度から成長することができました。
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長らくご笑覧くださった皆様には心から御礼申し上げます。
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これまで頻繁に表だった活動をして、よく喋っていた人間が急に静まると不気味でしょ(笑)
ホホホ。死にもしない。諦めもしない。人間が変わったわけでもない。ただ企んでいるだけです。
手の内は明かさない。カメのように遅くとも着実な前進を遂げ、気づいた時にはきっと少し先を進んでいます。
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さておき、いつまで続くか分からないこの状況下を嘆いても、
不平不満を口に出してもなんの身にもなりません。
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「悪いことが起こるのは思いがけない善いことが訪れるために必要な前段階」と、
作家の宮本輝氏は仰っている。
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観光業界は衰退しない。
現在の困難というものは頂上を極め、次の峰に進むためには、
今いる山を下りてゆかねばならない故なのです。
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従業員の手本になるためだとか、宿の女将としての風格を保つためだとか、
業界を牽引するためだとか、そんな大それたことは微塵も考えていません。
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ただただ、私はそれを理論に基づき証明していくためにも、
人から妬まれることはあっても妬むことなく美しく生きていくためにも、
我が子たちに誇れる人生を送るためにも
そして何より自分自身を好きでいるためにも、
これからもたゆまぬ努力を続けるつもりです。
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2020年12月大晦日 酉の正刻 
祇をん新門荘 
女将 山内理江

40年務めてくれた従業員から

手紙が届きました。タイトルの通り40年間もここ新門荘に務めてくれていた従業員からです。

毎日メディアから見聞きする京都の悲惨な現状下で、
さぞかし気苦労されていることだろうと嘆き気遣ってくれていました。
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何度かこのブログにも載せていたかもしれませんが、
私は幼少時代に彼女からお年玉をもらっていたこともあります。
80代の彼女は当館の半分以上の歴史を知っているのです。
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社員旅行が海外だった昭和のバブルの良き時代も、会社経営がとても苦しい時も。
再び盛り返して、休日を取ってもらうのが困難なほど連日のお客様で賑やかだった時も。
そして、小娘の私が若女将を務めた後に女将になった、今のこの時も。
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口数は少ない方だったけど、物腰柔らかなとても優しい人柄で、
私を始めほかの従業員からアルバイトの大学生まで、
多くの人間が彼女から思いやりや人として大切なことを学んできました。

人当たりのキツイ人でさえも、彼女の前になると途端に優しい人間になるのです。
自然とそう接していしまう魅力がありました。
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私が若女将になった当時、参加しまくったいろんなセミナーから習得したことをフィードバックするため
アレヤコレヤとスタッフ教育として、座学やOJTをしてきてきましたが、
戸惑う従業員もいる中、愚痴の一つもこぼさずに黙々と付いてきてくれました。
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しかしながら、ここ5年程前から何度か
「もう年だから、ほかの若い子の足を引っ張るし辞めたい。
みんな真剣に働いているのに、私だけボケ防止感覚で働いていては申し訳ない」
など謙虚な話がありました。

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そんな話を聞くたびに「体の不調ではない限り、週に1日でも数時間だけでもいいから続けてほしい」と
退職意向を受け入れず残ってもらいました。
まさかの回答に涙目で喜んでくれていた顔が忘れられません。
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彼女からの手紙を拝読して、私も走馬灯のように若女将になりたての頃の記憶が蘇ってきました。
当時の客室係(仲居)は皆60-70代。そこに20代の私がひょっこり入っていて、
皆と同じように館内を走り回っていました。
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孫を見るように、また時には生意気な私の言動を
物見遊山気分で見ているオバアチャン達に囲まれて最前線に出て仕事をしていました。
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そんな私は今は一歩も二歩も下がって、一切の口出しをせず、
新しい土台を作り上げようと奮闘する従業員を見守る立場に徹しています。
自分の意向を抑えて、じっと動かず俯瞰的に見たり、
スタンスを心底理解して、今後の布石のためにも
そこに徹するということは非常に難しいことを 不惑を超えたこの年にして学んでいます。
「ああしたら良いのに」「こうしとかなあかんのちゃう?」と私の性格上多々言いたくなることもありますが、
手紙をくれた彼女のように、謙虚さ控え目さを見習わなければなりません。
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すっかり変わった建物はまだ見ていないので、寒くならないうちにコーヒーでも飲みに遊びに来てくれないかなぁ。
これまで忙しすぎて、振り返る時間さえも勿体ないと頑固に凝り固まっていましたが、
私も立場的にゆとりが出てきたので、たまにはゆっくり思い出話もしたいものです。

 

客室名は日本の伝統色で。

長い梅雨が明けたと思ったら、猛烈な暑さがやってきました。
いよいよ夏本番です。
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そして、当館ではおかげさまをもちまして
7月末日に予定通り、大改装工事が終了しました。
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世間はこんな大変な時期ではありますが、社長の肝いりでスタートした全館改装。
手前味噌ながら、文字通り誰もがアッと驚くほど素晴らしく生まれ変わりました。

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今回私が関与したといえば…

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これまでの客室の一般的な数字番号を改め、
それぞれに名称を付けることにしましたが、その名付けです。

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できれば「京都」にちなんだ名前にしたいなぁと悶々と考えていましたが、
フロアごとに色のテーマを決めて、日本の伝統色にしました。

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しかも、平安時代にすでに存在していた色の名前に絞りました。
2階は私の大好きな色、これまで当館のコーポレートカラーとしても多用していた「紫」系です。

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3階は「赤」系統。
ローマ字が無いと難読な漢字もあります。

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4階は「緑」系統。
「青」や「白」系統も考えましたが、一番色数が多かったので「緑」でまとめることにしました。

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一口に「紫」「赤」「緑」といっても、とても多くの色がありますよね。
やはり日本に四季があり、その四季によって自然の風景も美しく変化していたことが大きく影響しています。
写真の通り、各フロアのエレベーター/階段の目の前に、各部屋の一覧を掲示しています。

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これまで上書きしているWEB上の写真は、素人写真ですので、今月中にはプロに撮影していただき変貌の全容をお伝えしていきたいと思います。

新緑の5月。

新緑が美しい季節になりました。
気づけばブログを更新せずに丸2か月以上も経過していました。
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13年前の2007年から細々とブログを始めましたが、
ここまで間が空いたことはありませんでした。
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ご存じのように観光産業で半分成り立っている京都は壊滅状態です。
私はあれだけ憧れていた(?)専業主婦生活です。
毎日三食つくり、24時間こどもにべったりの生活も こう長く続くと慣れたものです。

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アフターコロナで世間がどう変わるのか、
私の乏しい想像力では追いつきません。
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それでも、日本の四季は刻々と変化しています。
写真は新門荘の真横を流れる白川を少し上流にいった「知恩院」付近。
今年初の真夏日にはしゃぐ子供たちと一緒に白川に入りました。
やはり今年の枝垂れる柳も美しい。きっと来年も同じ景色が見られることでしょう。

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「老舗」と呼ばれる有名店が店を畳み、
家族で細々と営むお店さえも閉店に追い込まれる。
先人たちから受け継いだ暖簾を、次世代に受け継いでいくことはどれほど大変なことか。
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今の世の中は、何かにつけて不平不満をまき散らしていた地球上に住む、
私たちへの戒めのように思えてなりません。

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「難」という漢字は「困難」「苦難」「災難」「受難」…
と、災いや責められるような要素を含む意味合いがあります。

しかしこの「難」に「有」が頭につくと「有難い」という言葉が出来ます。

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そうです。
今こそ、私たちはこれまで当たり前すぎて忘れていたことすべてに
「感謝」していかねばなりません。それが「当たり前」になった時こそ
少しずつ世の中が前向きに動き出すのかもしれません。
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こちらのブログをご笑覧くださった皆様、
どうぞご自身のお身体にはくれぐれもお気をつけてお過ごしください。

世間は大変!でも、こんな時に大改修工事

とても静かな京都です。
平日でもこの「たつみ橋」は写真を撮ろうと ものすんごい人ヒトひと…で
通過するだけでも厄介ですが、ご覧の通り誰一人いない(@@)

 

誰もが先行き不透明さに不安しか付き纏わないご時世だというのに、
当館では夏からの予定通りに社長の肝いりで、
三期に工程を分けて、延べ4週間にわたる館内の改装工事を進めています。

まず脱衣場を含む大浴場が生まれ変わりました。

浴室内も配管の入れ替えとともに全てのタイルをはがし一新しました。

↓↓ 2階の朝食会場や宴会場として利用いただいていた「大広間」は、
入り口さえも変える大幅なリニューアル。
トイレ等で邪魔をしていたデコボコがなくなり、随分と広さを感じるようになりました。

それに伴い2階の廊下も随分と様変わりします。
壁の色がシックに濃くなっています。

今は想像もできないけど、あと2日で天井と床が出来上がる予定です。

↓↓ 正面玄関を入ってすぐのロビー回り
壁の凹んでいる部分には書を飾る予定です。
黒く見えている棚は収納庫で、この手前にカウンターが設置される予定です。

休日なしで昼夜問わず、安全第一で業務にあたってくれる大阪の朝日建装さん。
施主のかなりの無理難題をも大きく受け止めて、相当なスピードで進めてくれています。感謝!!

書展を兼ねたお昼席

先日、タイトル通り書道の作品展を兼ねたお昼席がありました。
書家の竹内勢雲氏の教室に通われる生徒様が書かれたお扇子が何十点と並べられました。

生徒様とはいえ、中にはご自身で書道教室をされている方や様々な賞を取っておられる方も。凡人の私からすればどれもこれも達筆で、素晴らしくて一点一点思わず見入っていました。

「書道は絵画や他の美術品と違い、どこから始まったか明確で、書いた人の息遣いがその書から見て取れる」と聞いたことがあります。なるほど、何百年前の書でも、文の途中から書きはじめる人はいないわけで、古人の筆の運びを真似することができるわけです。

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当館は珍しく絵画よりも書の装飾品が多いです。
2月は1階ロビーや2階大広間の改装工事があり、しばらく休館を頂きますが、
リニューアルした暁には、やはり今と変わらず書をあちこち掲示したいですね。
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この床の間の竹内勢雲氏の書は随分と以前から当館で飾っていました。
何を隠そう、この私も出産以前まで先生にご指導を仰いでいたのです。(もう10年前になりますが^^;)
この日は書の達人たちがたくさんおいでになる中、私が書いた歓迎看板がとても貧相で恥ずかしくなりました。また先生の教室へ通いたいと強く思い直しました。

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お目よごしになったので、最後は新門荘の玄関にある看板の写真をご覧いただきましょう。
この看板は竹内勢雲氏の師匠である杭迫柏樹(クイセコ ハクジュ)氏に書いていただいた自慢の看板です。

関西も松の内が終わりました

新年が始まって早くも二週間が経過。
旅館業を営んでいる私にとって、年末年始は忙しくも有難い一週間。
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私が接客したあるお部屋では、未就園児と乳児がいらっしゃいました。
お子さんがいると、ついつい話が弾んでしまう(^^)
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私にも9才と3才の子供がいると言うと
「え?今お子さんは?なんだか申し訳ないです」と仰って、お客様に気を遣わせてしまいこちらは恐縮しました。

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サービス業やホスピタリティ産業と呼ばれる対面で接客する職種は、
人様がお休みの時は働くのが当たりまえ。
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その代り、一息ついた時は混雑を気にすることなくゆっくりできます(^^)/

さて、関東では1月7日だそうですが、
関西の松の内も今日で終わりです。
本日をもって、館内のお正月用の飾り物も片づけることになります。

今年は庚子(かのえ・ね)の年。
近代の文明開化以降、3度目の「庚子」の年。
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結実の後に、新たな形に変化しようとする「庚」と、
生命のスタートであり、繁殖や発展を意味する「子」が掛け合わさっています。
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つまりは今年は新たな芽吹きと繁栄の始まりです。
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祇をん新門荘もお客様にお喜び頂けるように、
躊躇することなく変化を受け入れ、厭わず変化に努め、
そして多くのお客様とのご縁が育まれるように前進してまいります。

2019年も残りわずか

今年もご愛顧頂く皆様、各方面でお世話になりました皆様、
大変お世話になりまして有難うございました。
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世間は「平成」から「令和」に変わりましたが、
今年は祇をん新門荘にとりまして、創業70年を迎えた年でした。
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創業当時に「料理旅館」と看板を掲げていたそうですが、
料理が格段と素晴らしくなりました。
リピートくださるお客様方もみな一様に驚かれるばかりで、
また大変光栄なことに口コミにも「料理で選ぶならココ」と書いてくださるようになりました。
ようやく創業者の思いが形になってきたように思います。


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同時に社内体制も大きく変わりました。
特に京都では世襲制を重んじる旅館業界にとっては、
大変珍しく、親戚縁者ではない彼女に「若女将」として
活躍してもらうことを筆頭に、
変化を厭わないエネルギー漲る、
素直な20代30代の若手従業員が飛躍しました。


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古参の従業員もやっと活躍できる舞台を用意してもらったと言わんばかりに俄然張り切る人や、
これまでの半分の人員で社内が回ることに首を傾げながらも楽しそうに働く人。
長年願っていた部署間を超えた会話のある楽しい職場に変わりました。
文字通り少数精鋭で、互いに思いやりを持ち、助け合う素晴らしい職場環境です。
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私が自宅で子供の面倒をみて、いつも通りの時間帯で就寝している間も
汗水流し、睡眠を削り、懸命に業務に従事して、
真心こめてお客様を迎えてくれている従業員には本当に感謝しかありません。
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さて、私自身はというと40代に突入しました。
20代の頃から憧れていた40代。
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30代は連日の極度の睡眠不足とワンオペと闘いながらも、
それなりに仕事を頑張ってきた自負心があるので
わりと良い表情をした40代を迎えたと思っています(自画自賛)
刻まれる皺さえも、これまで笑顔で接客をしてきたからこそだと誇らしく思います。
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ココ・シャネルの名言、
「女は40を過ぎて始めておもしろくなる」を信じて
2020年も突っ走ろうと思っています。
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こちらのブログをご笑覧くださった皆様も
どうぞ佳いお年をお迎えくださいませ。

MBS放映されました!「陣内智則の子育て お悩みぶっちゃけ秋の京都巡り」

タイトルの通り本日12:54~13:54に
MBS「陣内智則の子育てお悩みぶっちゃけ秋の京都巡り」という関西ローカルの番組に放映して頂きました。

10月下旬に撮影がありました。
写真の通り、陣内智則さん・未知やすえさん・シャンプーハットの小出水さん・COWCOW 多田さん・令和喜多みな実河野さんの5人も芸人さんが来られました。

「●時頃に芸人さんは映画村から来られますので」とは聞いていたものの、そろそろかなァ~と思っていたらすでに玄関が賑やかで、突然入ってこられてあたふたしながらご挨拶していました。
(そのアタフタしている様は上手に編集カットされていて安心)

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これまでTV撮影時はいつも「はい、カメラ回ります」の合図があったのですが、今回はそういうものがなく、芸人さんの普通の会話をカメラで撮影されている感じ。
さすが!芸人。カメラが回っていようがいまいが関係なく、思わずブッ!と吹き出したくなるのを我慢するほど面白い会話…

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それでいて、皆さん我々に対しても気さくで、腰が低くて、ほんとに好印象でした。
陣内さんはロケバスの中からわざわざ窓を開けて、手まで振ってくれていました。
売れっ子芸人のみなさんは、周囲にも気づかいされるというのはホントだなぁと感心しました。

記念に皆さんのサインも頂きました!
当館を取り上げて頂きまして有難うございました!

17年連続でお越しくださるお客様

気付けば今月は全くブログを書いていないことになるところでした。
いつもアレも書きたい、コレも触れておきたい…とネタだけは頭に思い描きながら、前回の更新からひと月以上が経過していました。

さて、私は9月半ばに来られた女性グループのご予約日を心待ちにしていました。
こちらの女性グループは、私が旅館業に携わるようになったその年の まだ20代前半の若かりし頃から、年に一度必ず来てくださっている方々。

以前にもブログに綴ったことがありますが、当館では「祇園ときめきナイト」という格安で舞妓さんと会える夕方限定のプランがありました。
日曜日以外はたとえ2名様でも企画を実施していた時もありました。お客様からは大変喜ばれていましたが、あまりにも採算度外視のお得プラン過ぎて開催中止に至りました。

当時大学生だったお客様は、このプランに必ず来てくださっていて、社会人になると舞妓宴会でご予約をくださるようになりました。
某年には、ちょうどお客様のお一人がお誕生日で、舞妓さんがバースデーケーキを運んでくれるシーンは京都新聞にも取り上げて頂きました。

次々とご結婚やご出産をされて、いつも6名がお揃いになるわけではありませんが、同窓会のような形でここ新門荘で集まられることを楽しみにしてくださっているようで、私たちも仕事冥利に尽きます。

ご到着の数日前には、写真のような素敵なお花が届きました。
年に数回お送りする「新門荘通信」を楽しみにしてくださっていて、今年は当館が創業70年を迎えることや、この4月から私の肩書が「女将」になり、新たに「若女将」を就任させたことをしっかり記憶にとどめてくださっていていました。

本当に有難いかぎりで、私の持ち合わせるボキャブラリーでは、十分なお礼の言葉が出てこないほど喜びでいっぱいになりました。そして、頂いた立派なお花の立札を見て改めて感慨深くなったのです。

あぁ、そうか。

今年は平成から令和という時代に変わり、当館は創業70年を迎える年。私が「若女将」から17年を経て「女将」になり、素質を感じるスタッフを「若女将」を新任させた年。同時に社内体制もゴロっと変わり、(詳細は割愛しますが)私が本当の意味でストレスフリーになった年。

残っているスタッフが別人のように皆 本当に活き活きと仕事に励み、私は安心して彼ら彼女らに任せて新しいお客様をお迎えできる精神的なゆとり。
そして、こうして当館の事を思い出してくださるお客様に恵まれて、もういつ引退してもいいなぁと思えるようになりました。

…いや、まだ辞めませんけどね。( ̄∀ ̄)

京都市内は雨後の竹の子のようにホテルが林立し、完全な飽和状態。
これからが生き残りにかけて、お客様に選んでいただける宿で有り続けるように 真剣に仕事をしていかなければならないのです。
そう、腹帯を締め直して今年も残り3か月。精進してきます。

お問い合わせ

Tel075-561-8011