今日は約5年前に新門荘の
フロントで働いていてくれたN君がひょっこり現れた。
辞めてから何度か遊びに来てくれていたようですが、
私は何年ぶりかに会いました。
働いていた頃からずっとお付合いしていた方と結婚するそうです。
なんて、めでたい!!!
当時、私は彼とフロント係で一緒に仕事をしていました。
年が近いので、お馬鹿な話で盛り上がっていました。
いろんな事を一瞬にして思い出してしまい、懐かしくなりました。
私は大学3回生から、簿記の専門学校にも通っていた。
税理士になりたかったので、順調に簿記試験もクリア。
別にとる必要もないのに簿記1級試験に臨み
あえなく惨敗したのが最後ですが…。
私の性格上、大企業で勤められないと思い就職活動も一切せず、
卒業後は小さな税理士事務所で働くつもりだった。
両親にもそう告げていましたが、
間際でやっぱり新門荘で働くことにしました。
乳母日傘でノホホンと育った私には、
親のやってる会社で適当に働くほうが時間も取れるだろうし、
税理士試験勉強もしやすいだろうと安易に考え直したからです。
だから、フロントで働いていた時の私は非常に浮ついていた。
思い出すだけでも恥ずかしい。
徒歩1分以内のマンションに住んでいるくせに遅刻もよくしていました。
まさに学生感覚の延長です。
ところが、その三ヵ月後の6月末に人生の転機がきてしまいました。
母が子宮癌で入院することになったのです。
(お蔭様で今は元気にしております。)
新門荘は舞妓さんが入る宴席があるときは
女将である母が宴会に上っていました。
だから、その代わりをするのは私しかいなかったわけです。
着物の着方も分からない、挨拶の仕方もわからない、
料理の説明もできない、ないない尽くしのこの私が若女将ですって。
唯一の救いは従業員でした。ほんとに。
こんなバカ娘にもみんな丁寧にしてくれました。
あの時この人がこう言ってくれた。ああしてくれた。
…今も一つ一つ明確に覚えています。
思えば、世の中数ある偶然はきっと必然なのでしょう。
4回生の1,2月に勤め先を税理士事務所から新門荘に変更したのも
どこかで書かれたシナリオの通りに進んで行く為だったのかも知れません。
学生の頃から簿記の勉強をしていたのも、
今の私に役に立たせる為だったのかもしれません。
母が病に伏したのも、私がこの職につく為だったのかもしれません。
お陰で、普通は何年もかかって身に付けていくはずの
旅館の仕事や人の扱い・業者とのやり取り…etc
余所見する間もなく短期間で勉強できました。(勿論、今も勉強中ですが)
当時の私の睡眠時間は2,3時間しかとれない時もありました。
今日、遊びに来てくれた彼はそんな過渡期の私を知っていますが、
もう今やフロントの制服を着ていた頃の私を知る人は
社員を除いていなくなりました。
いつも将来の新門荘やプランの企画詰めばかり考えて、
あまり昔を振り返らないだけに
N君が来てくれたお陰で、今日はふと懐かしいあの頃を
思い出すことができました。
そして、余裕かまして今日は10時間も寝ていた自分を反省しました…
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★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。
フロントで働いていてくれたN君がひょっこり現れた。
辞めてから何度か遊びに来てくれていたようですが、
私は何年ぶりかに会いました。
働いていた頃からずっとお付合いしていた方と結婚するそうです。
なんて、めでたい!!!
当時、私は彼とフロント係で一緒に仕事をしていました。
年が近いので、お馬鹿な話で盛り上がっていました。
いろんな事を一瞬にして思い出してしまい、懐かしくなりました。
私は大学3回生から、簿記の専門学校にも通っていた。
税理士になりたかったので、順調に簿記試験もクリア。
別にとる必要もないのに簿記1級試験に臨み
あえなく惨敗したのが最後ですが…。
私の性格上、大企業で勤められないと思い就職活動も一切せず、
卒業後は小さな税理士事務所で働くつもりだった。
両親にもそう告げていましたが、
間際でやっぱり新門荘で働くことにしました。
乳母日傘でノホホンと育った私には、
親のやってる会社で適当に働くほうが時間も取れるだろうし、
税理士試験勉強もしやすいだろうと安易に考え直したからです。
だから、フロントで働いていた時の私は非常に浮ついていた。
思い出すだけでも恥ずかしい。
徒歩1分以内のマンションに住んでいるくせに遅刻もよくしていました。
まさに学生感覚の延長です。
ところが、その三ヵ月後の6月末に人生の転機がきてしまいました。
母が子宮癌で入院することになったのです。
(お蔭様で今は元気にしております。)
新門荘は舞妓さんが入る宴席があるときは
女将である母が宴会に上っていました。
だから、その代わりをするのは私しかいなかったわけです。
着物の着方も分からない、挨拶の仕方もわからない、
料理の説明もできない、ないない尽くしのこの私が若女将ですって。
唯一の救いは従業員でした。ほんとに。
こんなバカ娘にもみんな丁寧にしてくれました。
あの時この人がこう言ってくれた。ああしてくれた。
…今も一つ一つ明確に覚えています。
思えば、世の中数ある偶然はきっと必然なのでしょう。
4回生の1,2月に勤め先を税理士事務所から新門荘に変更したのも
どこかで書かれたシナリオの通りに進んで行く為だったのかも知れません。
学生の頃から簿記の勉強をしていたのも、
今の私に役に立たせる為だったのかもしれません。
母が病に伏したのも、私がこの職につく為だったのかもしれません。
お陰で、普通は何年もかかって身に付けていくはずの
旅館の仕事や人の扱い・業者とのやり取り…etc
余所見する間もなく短期間で勉強できました。(勿論、今も勉強中ですが)
当時の私の睡眠時間は2,3時間しかとれない時もありました。
今日、遊びに来てくれた彼はそんな過渡期の私を知っていますが、
もう今やフロントの制服を着ていた頃の私を知る人は
社員を除いていなくなりました。
いつも将来の新門荘やプランの企画詰めばかり考えて、
あまり昔を振り返らないだけに
N君が来てくれたお陰で、今日はふと懐かしいあの頃を
思い出すことができました。
そして、余裕かまして今日は10時間も寝ていた自分を反省しました…
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