先日、プライベートで嵐山の吉兆へ行きました。
まぁ一生一回いけるかどうか…なんて思っていた場所でしたので、
非常に楽しみにしていました。
通されたお部屋は綺麗に整えられた庭に面しており、
「お月見」ということで、花器にいれられたススキとお供え物がありました。
お供え物は「ん」がつくような食材ばかりです。
なんきん(かぼちゃ)、にんじん、ぎんなん、なんば(とうもろこし)…
そして‘あんぱん’まで!
料理では稲穂をアレンジした箸置き、
銀の型紙で作られた上弦の月が敷き盆の右上に置かれていました。
そして床の間には「虫」とかかれた藤原?定のお軸。
……日本の四季を随所に感じさせる趣向にはいちいち感動します。
お料理そのものはやはり美味です。意外に思ったことは量が少なかったこと。
しかし、その量が非常に適当であり、父は特に絶賛していました。
昨今の料理屋はとかく「量」や「ボリューム」に捉われているな、と
感じることが多いのですが、本来食事を美味しくよばれるには
残す必要があるほどの量を出されることが「満腹」=「満足」ではないはずです。
新門荘のご宿泊のお客様からも同じ料理でも
「量がちょうど良い」と仰っていただくこともあれば
「少なすぎてがっかりした」とご指摘されることもあります。
年齢層や食事に割く時間等によって個人の感想は随分変わるのです。
ちょうどいい塩梅の「量」というのは
実は簡単なようで難しいことかもしれません。
さて、水菓子として果物を食して一息ついた頃に
お薄(お抹茶)と和菓子が出されました。
和菓子は先日の和菓子作り体験で作った京都風の「お月見団子」です。
その後はほんのり塩気のあるお茶をよばれました。
我々はそれらおうすを縁側へ出て庭を眺めながら頂きました。
正しくは皆で縁側で談話をしていると、
係の人はさり気なく座布団を持ってきてくれました。
そして程よいタイミングで「こちらで召し上がられますか」と
接待さんに声をかけて頂いたのですが。
その時はっきりと分かりました。ここは「人」が違う、と。
おそらく連日世間で名を馳せたるお客が来られるのでしょう。
礼儀正しい客もいれば、我侭で勘違いしている客もいるでしょう。
多くの客を接待して、数をこなしてるから慣れているんだ…
そんな単純すぎる答えはありません。
料理が美味しいのは当たり前です。
目を楽しませてくれる器の数々も本物であって当然です。
調度品の素晴らしさもそうでしょう。
しかし、女将さんと3人の接待さんの自らの一挙手一投足は
明らかに他の料亭にはないものがありました。
このシチュエーションでも、
人が変わるだけで幻滅することがあるかもしれません。
特に宴の前半は女将さんをはじめ係の人もべったりと席に入っていました。
べったりと…というと語弊がありますが、お酒を切らさないように
まるで姿を消したかのように楚々として注いでくれるわけです。
勿論、会話は決して遮りません。
女将さんや接待さんに話を振っても、
いつも間にかやんわりと我々の話に戻っているわけです。
あくまで黒子に徹しているわけで、かといって必要なことは的確に
且つどんな小さなくだらない質問に対しても受け答えはされます。
そして、きちんと勉強して知識を持ち、
なんのためらいも無く受け答えのできる接待さんの若さにも驚きました。
おそらく私と同じ30代同世代なはずです。
「若い接客係は落ち着かない」という声を聞くこともありますが、
でしゃばって空気を読めない年配のサービスする人間とは比べるに値しない。
最後は「人」だな、といろんな意味で考えることになりました。
…しかし、ワインを下ろしたとはいえ、
後ほど支払い金額を聞いてひっくり返りました。
ん〜 やはり一生これ一回だけの貴重な経験かも…
まぁ一生一回いけるかどうか…なんて思っていた場所でしたので、
非常に楽しみにしていました。
通されたお部屋は綺麗に整えられた庭に面しており、
「お月見」ということで、花器にいれられたススキとお供え物がありました。
お供え物は「ん」がつくような食材ばかりです。
なんきん(かぼちゃ)、にんじん、ぎんなん、なんば(とうもろこし)…
そして‘あんぱん’まで!
料理では稲穂をアレンジした箸置き、
銀の型紙で作られた上弦の月が敷き盆の右上に置かれていました。
そして床の間には「虫」とかかれた藤原?定のお軸。
……日本の四季を随所に感じさせる趣向にはいちいち感動します。
お料理そのものはやはり美味です。意外に思ったことは量が少なかったこと。
しかし、その量が非常に適当であり、父は特に絶賛していました。
昨今の料理屋はとかく「量」や「ボリューム」に捉われているな、と
感じることが多いのですが、本来食事を美味しくよばれるには
残す必要があるほどの量を出されることが「満腹」=「満足」ではないはずです。
新門荘のご宿泊のお客様からも同じ料理でも
「量がちょうど良い」と仰っていただくこともあれば
「少なすぎてがっかりした」とご指摘されることもあります。
年齢層や食事に割く時間等によって個人の感想は随分変わるのです。
ちょうどいい塩梅の「量」というのは
実は簡単なようで難しいことかもしれません。
さて、水菓子として果物を食して一息ついた頃に
お薄(お抹茶)と和菓子が出されました。
和菓子は先日の和菓子作り体験で作った京都風の「お月見団子」です。
その後はほんのり塩気のあるお茶をよばれました。
我々はそれらおうすを縁側へ出て庭を眺めながら頂きました。
正しくは皆で縁側で談話をしていると、
係の人はさり気なく座布団を持ってきてくれました。
そして程よいタイミングで「こちらで召し上がられますか」と
接待さんに声をかけて頂いたのですが。
その時はっきりと分かりました。ここは「人」が違う、と。
おそらく連日世間で名を馳せたるお客が来られるのでしょう。
礼儀正しい客もいれば、我侭で勘違いしている客もいるでしょう。
多くの客を接待して、数をこなしてるから慣れているんだ…
そんな単純すぎる答えはありません。
料理が美味しいのは当たり前です。
目を楽しませてくれる器の数々も本物であって当然です。
調度品の素晴らしさもそうでしょう。
しかし、女将さんと3人の接待さんの自らの一挙手一投足は
明らかに他の料亭にはないものがありました。
このシチュエーションでも、
人が変わるだけで幻滅することがあるかもしれません。
特に宴の前半は女将さんをはじめ係の人もべったりと席に入っていました。
べったりと…というと語弊がありますが、お酒を切らさないように
まるで姿を消したかのように楚々として注いでくれるわけです。
勿論、会話は決して遮りません。
女将さんや接待さんに話を振っても、
いつも間にかやんわりと我々の話に戻っているわけです。
あくまで黒子に徹しているわけで、かといって必要なことは的確に
且つどんな小さなくだらない質問に対しても受け答えはされます。
そして、きちんと勉強して知識を持ち、
なんのためらいも無く受け答えのできる接待さんの若さにも驚きました。
おそらく私と同じ30代同世代なはずです。
「若い接客係は落ち着かない」という声を聞くこともありますが、
でしゃばって空気を読めない年配のサービスする人間とは比べるに値しない。
最後は「人」だな、といろんな意味で考えることになりました。
…しかし、ワインを下ろしたとはいえ、
後ほど支払い金額を聞いてひっくり返りました。
ん〜 やはり一生これ一回だけの貴重な経験かも…