2012年4月1日の今日、私がこの新門荘に来てちょうど10年を迎えました。
すでにご存知の方もいらっしゃいますが、
はじめはほんの腰かけのつもりで入社しました。
しかし、その2か月後に母が病に倒れアレヨアレヨと着物を着て
「若女将」という肩書までついて、一従業員からポジションが
ゴロっと変わってしまいました。
実力の伴わないその肩書きがこそばくて、
23歳の私は従業員に、業者に、お客様に「ナメラレマイ!」と肩ひじを
張って張って自分を大きく見せることに必死でした。
本来の読書好きが高じて、手当たり次第ビジネス書を頭に叩き入れ、
理想ばかりを追い求め、全速力で走っていました。
そんな当時の私に
「そんな本なんてクソの役にも立つかい!現場に出ろ!現場に!」と
叱咤していたのが、今の主人です。
大阪で商いをする彼は、従業員と共に汗をかいてはじめて認められることを、
そして小娘の私にはどれだけ頑張っても無理があることを滔々と説いていました。
頑固な私は、それでも「ナメラレマイ」と頑なでした。
でも、ある時なんの拍子か忘れましたが、自分を冷静に見つめるようになりました。
あ〜そうだ、私はただの宿屋の娘。偉くもかしこくもない、ただの子供。
こんな小娘が調理場の男どもをコントロールすることは出来ないし、
他の従業員に対しても説得力はあるわけがない。
そう、心底思えたころから随分と肩の力が抜けて
仕事がやりやすくなってきました。不思議なもんで、
使命感のみでしていた仕事が、自分の楽しみに変わり始めていました。
そのころ、同世代の同業者との交流も深まり、
アチコチの宿泊施設を勉強する機会に恵まれるようになりました。
さらに社長も私に、根幹となる財務や社員給与など
これまで社長の一人で進んでいたことさえも持ちかけてくれるようになっていました。
そして2年前、仕事が楽しい絶頂期に妊娠。
しかし、この機会は私が現場から離れる有難いチャンスだと思い
出産まで、引き継ぎに時間を費やしていきました。
ここで、私は「従業員にうまく甘える」ことで、
彼・彼女たちの成長に繋がるんだということを学びました。
そうすることにより、全員がお客様に目線が注ぐことも分かりました。
ほんとにこの10年間は中身が濃かったですね。
接客サービス業は完成や完璧がないことが一番のおもしろみです。
世間知らずの小娘が「若女将」という肩書をもつことで、
新門荘が確実に10年前と変わりました。
まさしく文字通り、役が人を育てたのです。
しかしながら、実は「若女将」の肩書は未だ抵抗があります。
世間が求める「女将像」をどこまで演出すべきかずっと模索していました。
「女将のくせに客前に出てこないのか」
「女将が謝罪に来るべきだろう」
「旅館と言えば女将だろう」
女将が女将が女将が…… この煩わしいマスコミが作り上げた女将像を
打破したいと躍起になっていた時もありましたが、
もうどうでもよくなりました(^^;)
そう、これも吹っ切れた時に精神的にずいぶん楽になりました。
これからは私が上手に「若女将」と付き合うのです。
今まで「若女将」に引っ張られていましたが、上手に掌で転がす。
今日からの10年。43歳になったとき私は何をどう感じて生きているだろう。
自画自賛ですが、もともとしっかりした性格ですから、
年と共に多少の貫禄でも出てくるかな。そうなれば理想ですね〜
「女将の役割とは内外構わず‘存在’すること、それのみ。」
‘存在感’を出すって難しいですよ。
‘存在感’は他人が感じるもんであって、自ら出そうと願って出せるものではないから。
だから、これが私の理想なんです。
【―数年前に京都検定でポスターに取り上げて頂いたときの写真です。】
なにはともあれ、10年間お疲れ様〜&今日からの10年ワクワク〜♪
新門荘をご贔屓にしてくださるお客様、
従業員のみなさん、
いつも無理難題を要求して困らしている業者のみなさん、
生意気な私を可愛がってくださる諸先輩方、
私の毒舌を楽しみにしてれる同世代同業者のみなさん、
今後ともどうぞよろしくお願いします。
すでにご存知の方もいらっしゃいますが、
はじめはほんの腰かけのつもりで入社しました。
しかし、その2か月後に母が病に倒れアレヨアレヨと着物を着て
「若女将」という肩書までついて、一従業員からポジションが
ゴロっと変わってしまいました。
実力の伴わないその肩書きがこそばくて、
23歳の私は従業員に、業者に、お客様に「ナメラレマイ!」と肩ひじを
張って張って自分を大きく見せることに必死でした。
本来の読書好きが高じて、手当たり次第ビジネス書を頭に叩き入れ、
理想ばかりを追い求め、全速力で走っていました。
そんな当時の私に
「そんな本なんてクソの役にも立つかい!現場に出ろ!現場に!」と
叱咤していたのが、今の主人です。
大阪で商いをする彼は、従業員と共に汗をかいてはじめて認められることを、
そして小娘の私にはどれだけ頑張っても無理があることを滔々と説いていました。
頑固な私は、それでも「ナメラレマイ」と頑なでした。
でも、ある時なんの拍子か忘れましたが、自分を冷静に見つめるようになりました。
あ〜そうだ、私はただの宿屋の娘。偉くもかしこくもない、ただの子供。
こんな小娘が調理場の男どもをコントロールすることは出来ないし、
他の従業員に対しても説得力はあるわけがない。
そう、心底思えたころから随分と肩の力が抜けて
仕事がやりやすくなってきました。不思議なもんで、
使命感のみでしていた仕事が、自分の楽しみに変わり始めていました。
そのころ、同世代の同業者との交流も深まり、
アチコチの宿泊施設を勉強する機会に恵まれるようになりました。
さらに社長も私に、根幹となる財務や社員給与など
これまで社長の一人で進んでいたことさえも持ちかけてくれるようになっていました。
そして2年前、仕事が楽しい絶頂期に妊娠。
しかし、この機会は私が現場から離れる有難いチャンスだと思い
出産まで、引き継ぎに時間を費やしていきました。
ここで、私は「従業員にうまく甘える」ことで、
彼・彼女たちの成長に繋がるんだということを学びました。
そうすることにより、全員がお客様に目線が注ぐことも分かりました。
ほんとにこの10年間は中身が濃かったですね。
接客サービス業は完成や完璧がないことが一番のおもしろみです。
世間知らずの小娘が「若女将」という肩書をもつことで、
新門荘が確実に10年前と変わりました。
まさしく文字通り、役が人を育てたのです。
しかしながら、実は「若女将」の肩書は未だ抵抗があります。
世間が求める「女将像」をどこまで演出すべきかずっと模索していました。
「女将のくせに客前に出てこないのか」
「女将が謝罪に来るべきだろう」
「旅館と言えば女将だろう」
女将が女将が女将が…… この煩わしいマスコミが作り上げた女将像を
打破したいと躍起になっていた時もありましたが、
もうどうでもよくなりました(^^;)
そう、これも吹っ切れた時に精神的にずいぶん楽になりました。
これからは私が上手に「若女将」と付き合うのです。
今まで「若女将」に引っ張られていましたが、上手に掌で転がす。
今日からの10年。43歳になったとき私は何をどう感じて生きているだろう。
自画自賛ですが、もともとしっかりした性格ですから、
年と共に多少の貫禄でも出てくるかな。そうなれば理想ですね〜
「女将の役割とは内外構わず‘存在’すること、それのみ。」
‘存在感’を出すって難しいですよ。
‘存在感’は他人が感じるもんであって、自ら出そうと願って出せるものではないから。
だから、これが私の理想なんです。
【―数年前に京都検定でポスターに取り上げて頂いたときの写真です。】
なにはともあれ、10年間お疲れ様〜&今日からの10年ワクワク〜♪
新門荘をご贔屓にしてくださるお客様、
従業員のみなさん、
いつも無理難題を要求して困らしている業者のみなさん、
生意気な私を可愛がってくださる諸先輩方、
私の毒舌を楽しみにしてれる同世代同業者のみなさん、
今後ともどうぞよろしくお願いします。