さて、前回のブログでは平清盛の父「忠盛」が、
上司である「白河法皇」から愛人である「祇園女御」を
下賜された…と書きました。
お手の付いている女性とはいうものの、美女の名高き祇園女御をもらい
まんざらでもない忠盛との間に生まれた子供が「清盛」でした。
…と言いたいところですが、実はこれには諸説あります。
実際に下賜されたのは「祇園女御」の妹では、と言われています。
白河法皇が「忠盛」の沈着冷静な仕事の出来に感動した‘褒美’が
自分の愛人「祇園女御」だったのですが、
「やっぱ、や〜めた!ワシの大事な祇園女御ちゃんをなんでやらなあかんねん!」と、
気が変わったのでしょうか。
この時40数歳だったとされる「祇園女御」ですから、
現代医学の無き時代に、第一子を産んでいることに疑問視する学者もいるそうです。
よって、清盛の母親は「祇園女御」の妹である説が有力だそうです。
じゃあ、前回UPした「忠盛灯篭」は何やねん…
別に大層に歴史名所にする必要はないんちゃうの?と思いますが、
まぁ尾びれ背びれがついて面白おかしく
後世へ語り継がれるのが‘歴史’なんでしょうね(^^)
上の写真は「祇園女御塚」という供養塔で、八坂神社の南楼門の近くにあります。
祇園女御の屋敷跡ではないかと言われています。そうです、白河法皇は暇があれば(?)ここまで会いに来ていたわけです。
現在、この供養塔はなんとも寒々しい鉄筋造りの「京都祇園堂」というお寺の
一角にあります。NHK大河ドラマの波及効果を狙ったように、
昨日今日できたような味気なさです。
上司である「白河法皇」から愛人である「祇園女御」を
下賜された…と書きました。
お手の付いている女性とはいうものの、美女の名高き祇園女御をもらい
まんざらでもない忠盛との間に生まれた子供が「清盛」でした。
…と言いたいところですが、実はこれには諸説あります。
実際に下賜されたのは「祇園女御」の妹では、と言われています。
白河法皇が「忠盛」の沈着冷静な仕事の出来に感動した‘褒美’が
自分の愛人「祇園女御」だったのですが、
「やっぱ、や〜めた!ワシの大事な祇園女御ちゃんをなんでやらなあかんねん!」と、
気が変わったのでしょうか。
この時40数歳だったとされる「祇園女御」ですから、
現代医学の無き時代に、第一子を産んでいることに疑問視する学者もいるそうです。
よって、清盛の母親は「祇園女御」の妹である説が有力だそうです。
じゃあ、前回UPした「忠盛灯篭」は何やねん…
別に大層に歴史名所にする必要はないんちゃうの?と思いますが、
まぁ尾びれ背びれがついて面白おかしく
後世へ語り継がれるのが‘歴史’なんでしょうね(^^)
上の写真は「祇園女御塚」という供養塔で、八坂神社の南楼門の近くにあります。
祇園女御の屋敷跡ではないかと言われています。そうです、白河法皇は暇があれば(?)ここまで会いに来ていたわけです。
現在、この供養塔はなんとも寒々しい鉄筋造りの「京都祇園堂」というお寺の
一角にあります。NHK大河ドラマの波及効果を狙ったように、
昨日今日できたような味気なさです。